伝教大師 (でんきょうだいし・さいちょう)
日本の天台宗の開祖である最澄のことです。
近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。
12歳で出家,14歳で得度,法名を最澄とした。
19歳のとき比叡山に登り,草庵を構え思索の生活に入る。
延暦 21 (802) 年,桓武天皇から入唐の勅命を受け,同 23年入唐,天台山で行満から天台の教えを受け,また禅法,大乗菩薩の戒法,密教を学び同 24年帰国。
社会教化・布教伝道のために中部地方や関東地方、さらには九州地方に出かけ、天台の教えを広めました。
出向いた各地で協力を得て『法華経』を写経し、これを納めた宝塔を建立しました(六所宝塔)。
最澄は弘仁13年(822)6月4日、56歳で遷化されました。
嵯峨天皇は、最澄の死を大変惜しまれ、「延暦寺」という寺号を授けられました。
このときから比叡山寺(日枝山寺)から延暦寺とよばれるようになりました。
貞観8年(866)、清和天皇から最澄に伝教大師、同時に円仁に慈覚大師の諡号が贈られ、これ以後、伝教大師最澄と称されます。
日本ではこれが最初の大師号で、大師とは人を教え導く偉大な指導者という意味です。